この社会は非科学的と呼ばれることを否定しなければいけないように
大多数の人たちは教育されていますよね?

わかりやすく例をいれてみます。
非科学的なことをさも現実にあったことのように他者に話してしまうと
奇異の目でみられたり、怖がられたり、はたまた馬鹿にされたり、
何度もそんな話を繰り返すと、最後には病院おくりや村八分にあいます。

だって、そう教育されているのだもの。それが当たり前とおもっているのだから、
その行動になんの疑問ももたないように設計されているのです。

そう、いつのころからか、現代に近づけば近づくほど。
情報が漏れる速度や範囲が加速度的に広がってしまったのだから当然の結果だといえるのですが。

「幽霊をみた」とか「お化けにあった」「河童をみた」などというと予測がつくように
教育されているので、もしそれにあったとしても、
きのせいだったとか目の錯覚とか疲れていたからと自己解決し、社会に発信しようとは
おもわない制度設計なのです。

そういったものを「信じない」「信じてはいけないなにか」があるのかもしれませんが
それはわたしはわかりません。

でも、それはそこにあったりするんですけどね~という話を何回かにわけて
したりしちゃいます。本当にあった私の血筋というかそういうもの。
人づてもあるので、全てノンフィクションというわけではありません。

ではでは、はじまりはじまり。