「夢物語」 [自分印象空間]
最近、「銀の匙」というアニメが関西では深夜枠ではじまったのですが
それを見て、自分はとても素敵なきもちになれることを相方に話しても
なんら感慨をもってくれないというか、、、ならばっ!となぜにそう思うかの内的宇宙をまとめてみたりも。
さて、この「銀の匙」ですがどういうお話かというと、進学校に通っていた主人公が
寮があるという理由で大蝦夷農業高校(エゾノー)に入学しことからはじまる
農業と酪農青春グラフティというお話で。
詳しくはこちらで。
タイトルとどういう関係があるのかというと、実は私、高校の進路指導で担任にこういったことを
おもいだしまして・・・。
「動物園で働くにはどうしたら良いですか?」
結果はというと鼻で笑われて、まさに失笑という感じでおしまいでした。なんといわれたも思い出せません。
今ならば真面目に考えた結果、自分が出した結論だったので、真面目に答えてほしかったのですが。
まぁ、普通科高校に通っていたので、土台無理だったのでしょうが、 農業大学って、道もあったのでは??
などとおもいつつ、仕方ないので担任に、ではデザイン系とコンピュータ系の専門学校のパンフをお願い
したのであった・・・意志が弱い。
好きなことを仕事にしたかったのですね。ただそれだけの理由。
そして、専門学校へ行きたいと数年ぶりかとおもうほどに父と久しぶりに会話した結果は
「しらん」(知らない、関係ないの意)と
一言いわれ、ボクは当時の親友と放浪のたびにでる19歳(高校は卒業している)の梅雨なのであった(笑
なんといいつつも
「夢」について、もっと若い世代、中学くらいから、しっかり考えるような教育が必要なんじゃないかな?
とおもったりしています。
人は最後のときに、人生の行いがわかるのかもしれないね [自分印象空間]
子供は無垢で生まれてきます。
一説によると自分にはどんな親がいいかな~っと、選んでやってくるそうですよ。(^^
今回のお話は自分でも悲しいのだけれど、それはどうしようもなく、どうすることもできない
というお話なのです。
ボクは両親と話をした記憶がほとんどありません。
思い出してみても、30分ないんではないかというくらい希薄なものです。
もちろん、一緒に旅行なんていったこともありませんでした。
遊園地には2回ほどいった記憶がありますけれど。(祖父母と義母とだったかな)
そこにはとても残念な想いしかありません。
もう父は20年以上前に他界しているので、話したいとおもっても話すことは出来ず、
実の母もどこにいるのかわからないし、生きていたとしてももう家庭を築いているのだろうから
波風をたてたくもなく、会うことも叶わないとおもっているからです。
だからというわけではないけれど、子供と一緒に過ごす時間を大切にしたり、お話をたくさんしています。
ちょっとスピリチュアルなお話~その7~ [自分印象空間]
幽体離脱ってしたことありますか?
私もするまでは魂(?)の存在に疑問をもっていたりしたのですが、
してしまうと、それは疑問ではなく、なんというのでしょう?
(ああ、肉体以外の存在もあるのかもしれない・・)などと考えてしまいます。
正直、たいしたことではないんです。
漫画みたいに夜空を飛んで、町中をかけぬけたりとかではなく、
ちょっとしたことだったんです。
ちょっとスピリチュアルなお話~その6~ [自分印象空間]
母さんが家を出て行ったのは小学校4年生のころでした。
壁から聞こえる小人たちの声もその頃から次第に消えていきました。
カナシバリは頻度は減りましたが時々やってくるので、相変わらず
知っている限りの神様の名前を頭の中で唱えてましたっけ。
カナシバリって、人が傍にいるとかかりにくい気がします。
安心するのか、来にくいのかはわからないけれど、、。
ちょっとスピリチュアルなお話~その5~ [自分印象空間]
先日、誕生日を迎えまして、ろうそくなぞを吹き消しまして、ついに44歳になってしまいました。
44マグナム・・・・なんてオヤジギャグをいってもいい歳ですね(笑
なので、今回は自分のことをちらりほらり。
~声が聞こえる~
それは小学校3年生のころでした。 うちの父は昔ながらの一家の主的な人で、
口癖は、、「誰が家長か?--*」でした。(ソレくらいしか覚えていない自分でスイマセン)
ゆえに今思えばかなり身勝手な人でした。(故人の悪口のようですが、事実なのでそうでもないかも)
私と妹にはその父によって、3人の母親が存在したりしました。実母・義母・義母な感じ。
なぜこの話が関係あるのかというと、「負」の感情は「負」(または怪異)を呼ぶのではないか? と
おもったからです。
ちょっとスピリチュアルなお話~その3~ [自分印象空間]
今回は相方のお話。
相方は自称「霊感など全く無い」人なんですが、私からすればそうでもないきもするんです。
だって、ツーリング中に体験しているんですから。
相方がまだバイクに乗っている時代のこと。(ああ、懐かしい・・)
私のEr-6fと相方のルネッサで名阪の針インターへ向かうために、奈良県柳生付近の月ヶ瀬を
走っているときのこと。
MAX師匠いわく、ジェットコースターコース。
その命名にはじることのない、UPDOWNと急コーナーの続く、走るにはスリリングなお勧めコースです。
私が前、相方が後ろを走るのですが、まだ不慣れな相方をミラーから出来るだけはずさないように
ペースを見つつ、距離も離れないように合わせて走っていました。
少し休憩しようと、コースの終わりの信号待ちでのこと。
相方がこういうのです。
「●●ちゃん(私の愛称)と私の間の白いバイクがね・・」
え??
「なにいうてるの?そんなんいなかったよ~」
「おれずっとミラーでみてたもん」
そうなのです。
相方と私の間にいるはずのない白いバイクのライダーが確かに存在していたそうです。
相方をあせらせないように、安全を保つように間には他のバイクなんて、入る余地は
なかったはずであり、入ればさすがにすぐに気づいて、道を譲っています。
ここまでも、後方からバイクが着たら、ハザードをつけて、何台かゆずってきました。
月ヶ瀬のフルフェイスの白いバイク
ソレが何のためにそこへ現れたのかわかりませんが、私はこうおもっています。
きっとアレは相方が事故をしないように、出てきてくれた良い精霊なんだって。
その日はたちごけもなく、無事に帰られたのだから。
ちょっとスピリチュアルなお話~その2~ [自分印象空間]
おじいちゃんのお話
物心ついたころには父方のおじいさんはもうすでに亡くなっていた(齢30過ぎほどで)のですが
そのすぐ後のこと。
私の育ての親であるおばあさんが私に語ったお話です。
おじいさんがなくなった後、何度も夢にでてきたそうです。
その内容はこうでした。
「「M男(末っ子)を連れて行きたい」」
それを連れて行きたいと何度も何度も出てくるそうでした。
おばあさんは「嫌だ」と何度も断ったそうです。
結局、M男さんは今でも健在です。
末っ子だから、可愛くてそういったのかともおもえるのですがそうでもないのかも?
とおもえることがそのM男さんがらみでありました。
それは今でも親戚間のトラブルの元でもあります。
あるときM男さんは会社の社長の保証人になり、 見事に逃げられ、借金を背負わされます。
そして、父も含め兄弟全員に借金を申し込みます。返す気の全くない借金を。
M男さんは甘やかされて育ったのでそれが普通らしいですが親戚間はお金の話になると
怖いくらいの状況です。父もおばあさんもとても困っていましたっけ。
そんなこともあって、兄妹に迷惑をかけないようにと迎えにきたのかもしれないねとおもうのでした。
ちなみに私にも父の死後、影響しています。
財産の3分の1はそのM男さんが当然のように奪っていきました。
M男さんにそのことをいうとさも正当性が自分にはあると述べ、やはり返す気はないようでした。
ほかにも人生がかわってしまうほどの迷惑もこうむりましたので今は自分的には絶縁状態です。
しかし、連絡をよこせと妹に苦情をいってくるそうですが迷惑なだけなのでしたり。
おじいちゃんの件に似たお話なので続きをかきます。
ちょっとスピリチュアルなお話~その1~ [自分印象空間]
この社会は非科学的と呼ばれることを否定しなければいけないように
大多数の人たちは教育されていますよね?
わかりやすく例をいれてみます。
非科学的なことをさも現実にあったことのように他者に話してしまうと
奇異の目でみられたり、怖がられたり、はたまた馬鹿にされたり、
何度もそんな話を繰り返すと、最後には病院おくりや村八分にあいます。
だって、そう教育されているのだもの。それが当たり前とおもっているのだから、
その行動になんの疑問ももたないように設計されているのです。
そう、いつのころからか、現代に近づけば近づくほど。
情報が漏れる速度や範囲が加速度的に広がってしまったのだから当然の結果だといえるのですが。
「幽霊をみた」とか「お化けにあった」「河童をみた」などというと予測がつくように
教育されているので、もしそれにあったとしても、
きのせいだったとか目の錯覚とか疲れていたからと自己解決し、社会に発信しようとは
おもわない制度設計なのです。
そういったものを「信じない」「信じてはいけないなにか」があるのかもしれませんが
それはわたしはわかりません。
でも、それはそこにあったりするんですけどね~という話を何回かにわけて
したりしちゃいます。本当にあった私の血筋というかそういうもの。
人づてもあるので、全てノンフィクションというわけではありません。
ではでは、はじまりはじまり。
傷物語 [自分印象空間]
傷物語といっても自分の古傷や怪我を自慢したりするものではないのです。
小説を久しぶりに読みました。
物語シリーズ(西尾 維新 (著))が個人的に大好きなので、化物語→偽物語とアニメでみてしまうと
どうしても、この傷物語を読みたくなって、どうしようもなくなってしまう罠にはまりまして(^^;
怪異という存在と主人公とのお話なんですけどね。(アニメに興味がないとどうしようもない日記で)
まぁ、Amazonの批評は賛否両論でしたので個人的見解としては
「良い!」
この一言に限ります。主人公のモラルどうこういう意見が多かった本作ですけど
「あんたならどうしたよ?」
といいたいですね~。
なんとなく今の自分的にはそこで人生が終わってもいいかなっておもう気持ちはわかったりするので。
今にも存在が失われようとしている美しく儚いもののためにとその場でその後のことを
あの臨場感で考えられる人はごくまれだとおもうので、暦くんを責める事はできません、、、正直。
物語はバッドエンドと冒頭に記載されていますが、書き手の皮肉なのかもしれませんね。
とりようによってはベターエンドだとおもいます。