ちょっとスピリチュアルなお話~その6~ [自分印象空間]
母さんが家を出て行ったのは小学校4年生のころでした。
壁から聞こえる小人たちの声もその頃から次第に消えていきました。
カナシバリは頻度は減りましたが時々やってくるので、相変わらず
知っている限りの神様の名前を頭の中で唱えてましたっけ。
カナシバリって、人が傍にいるとかかりにくい気がします。
安心するのか、来にくいのかはわからないけれど、、。
母さんが居なくなった後、ボクと妹はとっかえひっかえというか交互に新居と実家を
いったりきたりすることになる。父なりの考えがあってのことだった。実に小さい考えが。
ゆえに仕方なくというか父のいる家へ戻った。
ボクら兄妹には25歳の義母が出来た。 ある日突然、父が宣言したのであった。
といっても一度も親とはおもったことはないけれど、、、いや、思えないでしょ、、普通。
妹は「お姉ちゃん」と呼んでいたっけ。僕は?全く関わろうとしなかったので呼んだことないです。
父の浅はかなもくろみは失敗継続中なのであった。特にボクに関しては。
時が過ぎ、ボクは高校生になった。
~話すスピーカ~
スピーカなのだから、音が鳴るのは当然なのだけれど。
そのスピーカをどうやって手に入れたのかはなぜか覚えていない。
家にあったのだろうけれど、高さ30cmほどのスピーカだった。
3畳の部屋を与えられたボクは部屋の壁へその2つのスピーカを吊り下げていた。
アルバイトで買ったミニコンポとつないでいた。
いつのころからか、へんな音がそのスピーカから響きだした。
・・・・人の声
コンポの電源はいれていないので、ラジオでもない。
耳を澄ますとどうやらそれは、中国だか韓国だか、あちらっぽい言葉のような
くぐもった肉声だった。
微弱な電圧で大気中のノイズを拾って音が鳴るとかいうの浅知恵をもっていたボクは
コンポの電源を抜いた。
しかし、声はやまない。
ああ、そうか、放電していないからなのかな~とおもい、翌日も電源を落とし、
コンセントからも引き抜いていた。
が、小さな話し声はやまなかった。
ああ、コンポ自体にトラブルが、、、電源を抜いているので関係ないのだけれど、
コンポからも外した。
普通なら、これでただの箱のはず。そう箱のはずなのだ。
しかし、それは話続けた。
だから、あきらめた。これはそういうものなのだとおもうことにしたのだった。
怖さがなかったわけではないけれど、なんか慣れていた、、その頃にはその程度には。
スピーカはしばらくぶら下がったまんまだったが、新しいコンポ、確かSonyのPixyというやつだったかを
購入したので、粗大ゴミの日にだして、それとはさようならをしたのだった。
・・・・・・・・。
ああ、だめだ、、スピーカの話が長くなってしまったので、あと何回かするかもしれません。
文章をまとめる力が足りなくてスイマセン。
次回 ~幽体離脱~
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