父は病院で亡くなったのですが、その時のお話です。
いつものようにアパートでファミコンなぞをやっていると、1本の電話がかかってきました。
それは妹からでした。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!お父さんが死んだぁ~」
妹は泣いていました。
父は安らかな眠りとはとてもいえない最後だったらしいです。
「●●●(妹の名前)!●●●(妹の名前)!心臓が止まるぅぅ!!」と
妹の手を握り締めて、逝ったそうです。
病院に着くと、とある一室に一人で通され、父はベッドではなく担架の上で死んでいました。
仮の霊安室なのかな?そうおもうことにしました。
ボクは二人きりになり、もう動かない父の顔をみていました。
(泣かなければいけない。こういうときは泣くものだ)とボクは考えました。
考えること事態おかしいんですけどね。
別に父に憎しみや怒りなどはもっていませんでしたが、だからといって、ほとんど触れ合う機会さえ
なかったボクには悲しむべき父との想い出や愛情がどうしても浮かばなかったのです。
(ああ、だめだ、、泣かなければ、、泣いてあげたほうが父も喜ぶはずだ)
何度もそうおもって、ボクは((泣こうとしました))がどうしても涙がでてきませんでした。
「育ててくれてありがとう。天国へいけるといいね」たぶん、そういって、泣くことをあきらめて
妹に「もういいよ~」といって、部屋を後にしました。
薄情だとはおもうでしょうが、ボクはそういう風に育ってしまったのです。
感情が少しおかしいのかな?と自分でも時々おもいます。
たぶん、それは、幼いときから自分の心を守るための自衛手段だったのかもしれません。
壊れたくはなかったのでしょうね。
父をみて、教わったというか、たどりついた真理は
((人には人の人生がある))
それのみでした。
だから、父には父の人生があるとおもって、その選択や行動を恨むことは決してなかったのです。
否、恨まずに済んだともいえるのかもしれません。
ボクにはボクの人生があるし、妻には妻の、青空には青空の人生がある。
なので、親がどうとか、家庭や世間のせいにして、ぐれてみたり、内向的になったりは違うと思うのです。
親で無理なら、友達が居るじゃない?恋人がいるじゃない?ほかを探すのも自分、そうおもいます。
自分の不幸も幸福も自分自身が作り出すのです。
選択するのは、、いや、選択したのは自分自身なのですよ。 どんなことでもね。
だれも強制はしていません。されたとおもっても、最後に選ぶのはじぶんなのです。
妻は看護士なので、人の臨終に良く立ち会います。
やはり色々な最後があるそうです。
家族におしまれ、亡くなる人
遺産だけが目当てな家族や愛人が集まる人
面倒を見るのがいやで、家族がいるのに誰もこない人
たった一人で逝ってしまう人
etc
そう考えると、父はまだ幸せなほうだったのかもしれません。
妹に泣きながら手を握られて逝けたのですから。
最後に自分がやってきた結果がそこにある。
そんなうまい終わりばかりではないのですが、どうなれば幸せかを想いながら生きれば
周囲にも幸せをわけながら、生きれるのではないかなぁとおもっています。
PS:実は父はとても苦労人で、10代半ばで祖父が亡くなり、長男として親代わりに7人兄妹を
支えたそうです。そして、自分の最後まで祖母を自分の範囲内で養ったのでした。
もちろん尊敬できます。子供を1人前になるまで育てただけでも尊敬できます。
それってすごいことなんですよね。だから、どうあれ、子供は親に感謝すべきです。
家があり、学校へ行かせてもらえて、ご飯をたべさせてもらえることがどんなに大変なことか、、
子供のときにはわからないんですけどね。
「親孝行は親が生きていないとしたくてもできない。生きているうちにしておくべき」
これがボクのもっとうなのです。まぁ、ボクにはもう居ないので、妻にそういって協力しているのだけど。