あれから20年 [日常]

阪神淡路大震災から20年がたちました。

当時、私は大阪北部に住んでおり、あの早朝の揺れをベッドの上で
経験しました。

当時、8畳のワンルームマンションで同棲生活をしておりました(ケホケホ
私は眠りが浅いので最初のわずかな揺れですぐに目が覚めました。

そして、彼女を揺さぶり、「地震だよ。」といいました。
そうこうしているうちに、2度目なのか?の大きな揺れが長時間続きました。

ただ事ではない揺れ、生まれて初めて経験する大きな揺れに「外へ逃げよう」と彼女を
揺さぶり、起こそうとしましたが、「フニャフニャ、大丈夫」「・・・・・・」
もそもそと布団を被る彼女を見て\\\

おいっwとおもいましたが、置いて逃げるわけにもいかないので、
収まるのを待ちましたっけ・・。

翌朝、マンションの壁をみると、斜めに大きなひび割れが入っていました。

女って、すごいなぁ・・・とそのとき感じた思いは
20年たった今、間違っていないと確信に変わっています・・・・。

ニュースをつけると、阪神高速神戸線が横倒しになっていました。
六甲へでかける際に、よくとおっていたあの高速道路がです。

ちゅうずりに停車しているバスも印象的でした。
とっさの判断の大切さを感じました。

あの工事を請け負ったゼネコンや業者はどうなったんでしょうかね・・・結局。
下請けの責任にしておわったのでしたっけ・・・。

 

灘区などの住宅街は火災が発生し、消防も間に合わないくらいでした。
その後、一部、消防や情報の活動における悪い噂も入ったりして、土地や住宅開発を巡る
利権、、、人間とは恐ろしいものだと権力者とは・・なんて、悲観にくれたりもしました。

そうゆうのは東日本大震災でも巨額の原発マネーや電力系企業の利権
政治家や官僚への影響力の強さをみなさんもみたのはではないでしょうか・・。

今もそれは現在進行形でつらい目にあっている方は大勢いるかとおもいます。

人命最優先。その後の方の生活最優先で無駄に使われている税金を
まわしていただければとおもいます。

生きているときの優雅な生活も大事かとおもいますが、死ぬときはお金をもって
死ねるわけではありません。

最後の時に、悔いのない様に、政治家も企業家もそういあってほしいと
願うばかりです。


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