ちょっとスピリチュアルなお話~その1~ [自分印象空間]

この社会は非科学的と呼ばれることを否定しなければいけないように
大多数の人たちは教育されていますよね?

わかりやすく例をいれてみます。
非科学的なことをさも現実にあったことのように他者に話してしまうと
奇異の目でみられたり、怖がられたり、はたまた馬鹿にされたり、
何度もそんな話を繰り返すと、最後には病院おくりや村八分にあいます。

だって、そう教育されているのだもの。それが当たり前とおもっているのだから、
その行動になんの疑問ももたないように設計されているのです。

そう、いつのころからか、現代に近づけば近づくほど。
情報が漏れる速度や範囲が加速度的に広がってしまったのだから当然の結果だといえるのですが。

「幽霊をみた」とか「お化けにあった」「河童をみた」などというと予測がつくように
教育されているので、もしそれにあったとしても、
きのせいだったとか目の錯覚とか疲れていたからと自己解決し、社会に発信しようとは
おもわない制度設計なのです。

そういったものを「信じない」「信じてはいけないなにか」があるのかもしれませんが
それはわたしはわかりません。

でも、それはそこにあったりするんですけどね~という話を何回かにわけて
したりしちゃいます。本当にあった私の血筋というかそういうもの。
人づてもあるので、全てノンフィクションというわけではありません。

ではでは、はじまりはじまり。

その話を誰から聞いたのかは忘れたけれど、親戚がうちへ遊びにきたときに
話していったのをまだ幼かった私がどうやってなのか聞いていたのだと思う。

それはいまでもはっきりと覚えているお話。

「困っているのだ」その一言から。それははじまりました。
マンションに住んでいる親戚の一家のおばさんが他界したという。
その話をしているのは同居しているおじさんかおばさんだったのだろう。そこは良く覚えていない。
何が困っているのかというと「でる」のだそうだ。
しかも「ふつう」にだ。

この「ふつう」というのがおかしくもあり、怖くもあったお話。

家族で夕食を食べようとテーブルを囲んでいると、そこに座っているらしい。
「ふつう」にだ。最初はぎょっとしたらしい。通常の反応だとおもう。
私だったら、腰をぬかしてしまいそうな大事件だ。

しかも、ふつうに話すのだそうだ。

最初は戸惑っていたその一家もそのうちそれが続いてしまうと恐ろしさも
薄れていくようで、会話をしたらしい。

鼓膜も発声器官もない幽霊がはなしたり、聞こえたりするのかはわからないが
その両方が可能だったということだ。

いつものようにふつうにでてくるので、家族は困ってしまう。
そして、こういってみたたらしい。
「姉さん、あんたはもう死んでるんだ。」

するとこう答える。生前と同じような口調で。
「なにいうてるの。わたしはここにおるやんか」

面白いでしょ?(笑

私が覚えているのはここまでで、その後、どうなったのかはわかりません。
49日が過ぎてきえてしまったのかどうかもわかりません。

少し付け足すと冷蔵庫をあけたり、台所をてくてく歩いたり、生前のライフワークを
行っていたそうです。

今回はライトに親戚のお話でした。

小学生のころ、うちは霊感があるほうの血筋なのかな~?って軽く思った2つのお話の1つめでした。

霊感といっていいのかわからないけれど、そのうち自分にも実感することが幾度かおこるのですが
それはまたいづれかのお話で。


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yosi

さらっと書いてるけど、すごい話ですね。
by yosi (2013-04-15 14:09) 

bis

yosiさん
きっとノンフィクションなんですよ~。でも、わたしにとっては、ああ、そうなんだという感じでもある出来事なんですよ^^。
by bis (2013-04-21 19:39)